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日本に限らず、我々の祖先は魚を獲ったり川や海を渡ったりする時など、全て木製の舟に頼ってきました。丸木舟が舟らしいものの最初の工作物だったと思われますが、その後、何千年か何万年かを経て、丸木舟は世界中で多様な進歩を遂げてきました。そして、日本でも西欧とは異なる形で進歩を遂げてきました。 丸木舟以外の船を総称して構造船と言いますが、平たく言うと、西欧の船は人間の背骨と同じように、中央に前後を貫く竜骨(キール)があり、その竜骨を土台に、人間と同じような何十本かのあばら骨(フレーム)があり、このあばら骨に外板と言って、板を打ちつけて造るのが一般的です。その大きなものは、英国の巨大な戦艦、並びに最後の快速帆船として発達した英米のクリッパーなど長さ、100m以上、4〜5,000トンに達するものもあります。 日本の場合、丸木舟から第一に進歩したのは、底板に平板を置いて(しきと言う)、その板の横に斜めの角度で板を打ちつけて(これをたなと言う)造るものです。つまり、船を造るときに敷くものとして最初に板を置いて、その平板の両側に平板をくっつける方法です。箱を造る要領と言ったらいいのでしょうか。船の大きさによって棚板の枚数は違いますが、棚板に更に棚板をつけるという原理で造船しました。その集大成したものが、この博物館にも陳列しております北前船です。さてこのような木造船が、30年ほど前からFRP(グラスファイバー)船が発達するにつれて製造されなくなりました。ここ数年で、青森県内の海岸に見られる昔造った木造漁船もほとんど朽ち果てて、残存するものが少なくなるのを見て、今のうちに収集保存しなければ、2度とその機会はないと考え、東北地方北部並びに北海道渡島地方を中心に収集したものです。収集しているうちに、当地方の和船の船底部分が西日本の漁船などと相違し、平板で、いわゆる「敷」というものではなく、丸太材から直接削り出したもの(ムダマ造り)であることが判明しました。これは、北方地方の磯浜が南に比べて荒く、頑丈な船底を必要としたという理由と、南と違い、ごく最近までムダマ材をとるだけの大木がこの地方に残っていたことが理由であると思われます。このことが北方漁船の一特色として知られることになり、平成9年11月、収集船のうちの67隻が文部省から国の重要有形民俗文化財の指定を受けました。 この指定を受けたのを機会に、我々の先祖が主要食料を確保するために最も役立った木造漁船を展示して、後世に残すという博物館建設を思い立ちました。漁船以外にも外国で今もって帆走している南太平洋方面のピニシ帆船、インド洋で活躍するダウ船、蒙古が日本を攻めた際に使われたのと全く現在でも同じ船型のジャンク船等々をも現地で建造し、皆様の興味に応えようとするものであります。まだまだ不十分なものですが、今後も随時拡充し、皆様に『海と船』に対して愛着を持っていただきたい、特にお子さんに夢を与えたいと思う次第であります。 財団法人みちのく北方漁船博物館財団 会長 杉 本 康 雄 |